標本とは
そもそも標本とは何なのだろうか?
まずは標本の意味と種類について知ってもらいたい。
『標本』 specimen
動物学、植物学、地学などの研究や教育に使うために、長期間保存できるように処理した生物の体や、
その一部、および岩石、鉱物などをいう。
生き物の標本は主に、乾燥標本、液浸標本、プレパラートに大別できる。
(世界大百科辞典より一部抜粋)
昆虫標本
昆虫は、外骨格で覆われているため、乾燥させるだけで長期間保存に耐える標本となる。 本来は、分類学に用いられてきたが、鑑賞目的に作られることも多い。 |
腊葉標本(さくよう標本)
押し葉標本とも呼ばれる乾燥標本の一種。 採集した植物を紙に挟み、重しを載せて乾燥させたもの。 花や実のついていないものは、学術的には価値が低い。 |
剥製標本
死亡した動物の表皮を剥がして内臓などを除去し、防腐処理をおこない、代わりとなる損充材を詰めて保存する標本技術の一種。 展示・観賞用には義眼をはめ込み、体内に針金を通す『本剥製』が用いられるが、学術研究用には必要最低限の処理を施した『簡易剥製』が用いられる。 |
骨格標本
骨格のみを取り出し、標本としたものである。 主に硬い骨格が発達する動物で用いられ、作成の過程で薬品などを用いて不要な組織の除去をおこなう場合が多い。 主に分類学に用いられる。 |
透明骨格標本
生物の骨格を観察するため、骨を染色して作成される標本。 従来標本化の難しかった小型の魚類などに有効な技術。 作製にはいくつかの手法が存在するが、硬骨と軟骨を綺麗に染色するには、少々技術を要する。 1941年ごろ開発された新しい技術である。 |
液浸標本
ホルマリンやアルコールなどの薬液に浸して保存する標本。 時間と共に変色することもあり、見栄えは良くないが保存できる内容は多い。 キノコや魚類、両生類、爬虫類、そのほか動物の内臓や昆虫の幼虫など体の柔らかいものに用いられることが多い。 |
樹脂封入標本
樹脂など固体化する用材に封じ込めた標本。 後に標本に直接触れることができないので、特殊な展示や鑑賞用以外では、一般的ではない。 |
プレパラート標本
微小昆虫や微生物、そのほか血液や組織など、観察に顕微鏡を使用する必要のあるものに用いられる。 スライドガラスに標本を貼り付け、カバーガラスを載せて封じたものである。 一時的な観察のための『一時プレパラート』と、固形化する封入材を用いた『永久プレパラート』の2種類がある。 |
化石標本
地質時代(有史以前)に生息していた生物、もしくはその活動の痕跡を示す標本。 多くは古い地層の中で発見される。 化石から過去の生物のことを研究する学問を古生物学という。 |
岩石標本
鉱石などが中心であるが、時に隕石や化石などもこれに含まれる場合がある。 一部を除いて特別な保存処理は必要としない。 地質学や地学の研究に用いられる。 |
標本の歴史年表
標本の歴史は古く、日本では、江戸時代から既に昆虫や植物が標本として保存されてきた。
そして、その標本の形態もまた、時代の変遷と共に、世界各地で進歩を遂げてきた。
年代 |
場所 |
標本の変遷 |
紀元前 2600年〜 |
古代 ギリシア |
アリストテレスによる『動物誌』 標本の始祖となる最古の博物学資料のひとつ。 |
紀元前 800年〜 |
中国(秦) |
古く中国で仙人の存在が信じられていた頃、不老長寿やその他の薬を作るために薬草の特徴などを研究する学問である『本草学(ほんぞうがく)』が興った。 これは時代の流れと共に博物学へと姿を変え、この系譜を引く『本草綱目』は、日本における標本文化の礎となった。 |
紀元前 750年〜 |
古代 ローマ |
プリニウスによる『博物誌』 |
↓ |
博物学の進歩に伴い動植物を綺麗に保存するための『標本』という価値が生まれる。
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1500年代〜 1700年代 |
大航海時代 |
世界各地で新種の動物・植物・鉱物の発見が相次ぐ。 それらを分類するための博物学が発展。プラントハンターの誕生。 東南アジアより蝶の標本がヨーロッパへ持ち帰られる。 |
1596年 |
中国(明) |
李時珍により『本草綱目』が著される。 1892種にわたる植物を図説している。 日本には17世紀初頭に舶来し、後の日本における博物学や標本学のお手本とされた。 |
1709年 |
日本 |
貝原益軒により『大和本草』が著される。 日本における植物採集の始まりのひとつ。 |
1800年代 |
日本 (江戸時代) |
武蔵石壽や栗本丹洲ら、当時の博物学研究者たちが、それぞれの見識に基づき、昆虫標本の祖となる虫譜が著される。 しかしながら、当時の標本作製技術は低く、カビや湿気などで破損・消失が相次いだため、書物ではスケッチにより表現されている。 石壽の作製した昆虫標本は東京大学に保存されている。 |
↓ |
博物学・分類学の材料として、標本作製技術の考案や進歩が促進される。
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1940年代 |
日本 |
透明骨格標本の礎となる技術が生まれる。 |
↓ |
遺伝子工学の発達に伴い、標本の重要性は低くなる。
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1991年 |
日本 |
河村功一、細谷和海らにより学術論文が執筆され、現在の透明骨格標本作製技術が確立される。 |
↓ |
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2014年 4月 |
日本 |
自然や生き物の面白さを伝えるべく、ゆめいろ骨格堂が開所。 |
「全ての芸術は、自然の模倣に過ぎない」
ー ルキウス・アンナエウス・セネカ(ローマ時代の政治家/哲学者/詩人)
標本は博物学、生物学の礎といえるものである。
その作成方法は古来から大きく変わることはなかった。
数百年前から研究者たちは標本を集め、現在ある分類学などの基礎を築いてきた。
現在も古い標本から新たな発見(新種の発見、分類の変更など)がおこなわれることは少なくない。
また、現在は絶滅してしまったが、標本だけが存在する動物や植物なども多い。
さらに近年では、標本は学問の枠を超え、芸術やアートの分野においても需要が高まっている。
それは今までと異なり、単に『デザイン』としてではなく、『標本そのものの美しさ』が評価され始めているようだ。
そして、20世紀後半になって現れた新しい標本技術、『透明骨格標本』はその最たるものであるといえる。
透明標本は、生き物をより美しく、綺麗な状態で保存したいという人々の長年にわたる研究と、
後世への知の保存・生き物への知的好奇心・コレクター欲求 など多岐にわたる想いの賜物であるのかもしれない。